おきなわ料理店
2019年 02月 11日
大阪市大正区には沖縄出身者が多い。だから沖縄料理店が多い。移住者が本格的に増えるのは第1次大戦後。沖縄では深刻な不況下で食料に事欠き、ソテツの実や幹まで口にしたため「ソテツ地獄」と呼ばれた苦しい時期だった。彼らは出稼ぎのため、紡績産業で勃興期を迎えた大阪に大挙してやって来た。中でも大正区には工場が多く、移り住む人が相次いだ。しかし、就職では不当な差別があり、借家でも「琉球人お断り」といった貼り紙が当たり前。自然と沖縄出身者は大正区内の何カ所かに集まり、助け合うようになった。
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anpanclub at 2019-02-11 09:05
おはよう御座います
沖縄・・スクーバダイビングの仕事でよく訪れていました。
夜居酒屋で飲んでいると、沖縄の方達は見知らぬ人にでも
「お通し」と言って泡盛の一升瓶を持ってきて
沖縄流の歓迎をしてくれました。
そんな沖縄の方達は、そんな時期からも辛い目に
あって来ているのですね
沖縄・・スクーバダイビングの仕事でよく訪れていました。
夜居酒屋で飲んでいると、沖縄の方達は見知らぬ人にでも
「お通し」と言って泡盛の一升瓶を持ってきて
沖縄流の歓迎をしてくれました。
そんな沖縄の方達は、そんな時期からも辛い目に
あって来ているのですね
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noboru-xp at 2019-02-12 05:46
★anpanclubさん、ありがとうございます★
琉球時代も、沖縄となってからも「沖縄」は、辛い歴史が
続いていますね。
辺野古の埋め立て強行など「「沖縄の皆さんの心に寄り添う」などと
口先男アベによって理不尽な思いをしています。
サンゴは移したと嘘をいい、正当化する。
「本土」の人達がもっと沖縄を知るべきですね。
スクーバダイビングのお仕事をなさっていたのなら
「ちゅら海」は、よくご存じのことでしょうね。
琉球時代も、沖縄となってからも「沖縄」は、辛い歴史が
続いていますね。
辺野古の埋め立て強行など「「沖縄の皆さんの心に寄り添う」などと
口先男アベによって理不尽な思いをしています。
サンゴは移したと嘘をいい、正当化する。
「本土」の人達がもっと沖縄を知るべきですね。
スクーバダイビングのお仕事をなさっていたのなら
「ちゅら海」は、よくご存じのことでしょうね。
by noboru-xp
| 2019-02-11 05:27
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